ここで書く「付き添い」とは癌患者のために病院に数時間詰めることである。
癌患者と一般向けの面会スペース(たいていロビー)で会うことや、患者に面会スペースへ行く元気がないから例外的に病室で会うことを意味しない。
短時間の暖かいお見舞いは癌患者が喜ぶのでいつでも役立つ。
付き添いに行って本当に役に立てたと思うのは、癌患者の手術前、手術後、延命措置の拒絶の意志を伝えられた時だけである。
1.手術前:「直前の術式変更を理解する」
手術は基本的にきちんと説明されるが、直前に変更されることがある。患者は直前だと自力で十分な情報を得られないので、付き添いが役立つ。
母はすい臓がんが発見されたとき既にステージが進んでいたため切除手術はできず、化学療法をとったが、
治療を進めている途中、癌に胆管が圧迫されたことから急性胆嚢炎となった。
癌で臓器の配置が動いている可能性が高いとのことで、小さな穴をあける腹腔鏡手術ではなく、ズバッと切る回復手術となった。
手術の前に母は主治医から説明を受け、納得してサイン。
ここまではよかった。
当日の手術開始数時間前、主治医は元気いっぱい吉報を持って母の病床へやってきて、メモを渡して言ったらしい。
「今日は麻酔科医が時間が取れるから、全身麻酔じゃなくて、腹直筋鞘ブロックを使うことになった!めったにないことだよ。よかったね!」
母は胆嚢炎でぐったりしながら、逆に不安になったらしい。
麻酔開始40分前に、のこのこと最後の励ましにやってきた私が握手のつもりで差し出した手に主治医の走り書きを渡し依頼してきた。
「いいことなのかよくわからない、怖い。調べて」
その場で、麻酔方式のメリットとリスクをスマホで調べて読み上げた。
母はようやく納得し、安心した顔で手術に向かった。
2.手術後:「後遺症を予測する」
手術や治療を受けた後、患者本人は怖い思いをした分期待が高まり、「大丈夫です。気分がいいです。」と答えがちである。
しかし、手術や治療法にはリスクがあり、その予兆を把握していなければならない。
手術の前には必ず医師がリスクを説明するが、そのリスクに備える情報(予兆の把握)までは教えてくれないのである。
母は手術前に、「胆嚢摘出の後遺症をもう一度調べて」と言っていった。
手術に同意した時点で説明を受けたはずだが、再確認したかったらしい。
術後目を覚ました母に、警戒すべき順と初期症状を読み上げて、復唱したのを確認してから、メモを渡して退出した。
「摘出の後遺症としては、急性膵炎の割合が・・・、膵炎の症状は発熱、激しい腹部の痛み、脈拍の増加・・・」
翌昼にお見舞いに行ったら、すでに本人が異変を察知し、医師に検査を依頼済みだった。
術後に起こした急性膵炎の投薬はすぐに始まり、母は比較的早く膵炎からは離脱できた。
3.延命措置の拒絶:「ほかの家族を説得する」
積極治療を受けるか否かは揉める。
もはやフラフラで話し合いなどできない患者のために誰かがやらなければならないが、これはとても辛い役目である。
だが、患者と家族の意志をまとめない限り医者は方針を決められないのだ。
方針が決まらなければ、ホスピスに入ることもできないし、家族が胎を決めないと、患者は最後の挨拶をいうこともできない。
母はBSCののちも奮闘したが、先進治療も耐えられない体調となったとき、医師と控えた家族の前で「もうこれ以上頑張れない、積極治療はしない」と言った。
即座に、励ましたい、頑張ってほしいという気持ちでいっぱいの家族、親族から「そんなことないよ!」「いくらでも付き合うから!」「あなたはすごいんだから!」と檄が飛んだ。
もちろん私も叫んだ。
母はベッドに突っ伏し、うなだれた後、他のメンバーを病室から出して私を呼び、気力のない自分の代わりに家族を説得してほしいと言ってきた。
「お前には難しいかもしれないが、私の体のことだから、いろいろ勉強してきたからわかる。医者は一生懸命やってくれている。それでもこの状態なんだ。これ以上手はない。私には一人ひとり説き伏せるのはもうしんどい。だからお前から言ってくれ。」
私はぐすぐす泣きながら家族のもとへ行き、母の状況と『私の方が他の人よりもずっと、母に生きていてほしいと思っているのに』という気持ちをそのままぶつけた。
医師に総意を伝えた後、一人ずつ母と話をした。長い話はこれが最後だった。
以上3つが、私が付添人として間違いなくその場にいなければならなかったと思う事例である。
それ以外の時も役には立っていたと思いたい。
病院は看護師が常住しているため、小児や認知症などを除けば、家族の付き添いは不要である。
付き添い人は感染対策が甘いし、相部屋の騒音の原因になる。
患者としても傍にずっと家族がくっついているというのは、パーソナルスペースを侵略されているので神経が休まらない。
私もほかの家族も、母から「ありがとう、今日は帰って。寝たい。」と追い出されたことがある。
それから、お見舞いに行こうとしたら「今日は来なくていい。最近、毎日来てくれるけど、死ぬのを待たれているみたいで嫌。」というメールが来たこともある。
適度な距離を保ちつつ、力になるのは本当に難しいものだ。